bowbow’s diary

家族ノカタチ

ナルシシズムな姑と認知症: 姑との同居介護体験

No.7

 

ナルシシズムの姑とわかったのはここ最近で

ずっと認知症の為にわがままになったり

感情の起伏があったり

全て認知症と思っていました。

認知症ってひとくくりに言いますが、

特徴をしっかり「解っている」と「解っていない」とでは介護の仕方も

(手の抜き方w)も違ってきますよ。

 

姑は過剰なまでの愛着で育っていて

過保護な幼少期だったので

自我が芽生えず、自立心が無く探求心も全くありません。

更に自己愛が強烈にあって

自分以外の人間を愛せません。

姑は以下全て当てはまります。

 

自己愛が強い人の特徴

他者への関心の低さ
自分のことしか気にかけておらず、他人の気持ちや立場を理解しようとしない。
他者の価値の軽視
自分以外の人間は自分の目的達成のための道具にすぎないと考えている。
自己中心的な振る舞い
自分の欲求を優先し、他者の要求や感情を無視することが多い。
権威的な態度
自分が優位に立ち、他者を支配したいという願望が強い。
共感性の欠如
相手の気持ちに寄り添うことができず、相手の痛みや喜びを理解できない。


強烈な自己愛を持つ人は他者を自分に都合良く扱うことしか考えておらず、

健全な人間関係を築くことが極めて困難です。

 

そんな姑の介護をすることになっていく訳なんですが

私はどんな人間かと言うと

20代の頃は潔癖症でした。菌が見える人です。

暇さえあれば掃除ばかりしていて

入浴は2時間が普通。

部屋には必要な物しか置かないし

とにかく神経質でした。

今思えば本当に時間の無駄でしたね。

子育てをしていくうちにどんどん菌も見えなくなってきていました。

ただ、職場では自分のデスクはいつもきれいでしたね。

それで気持ちを収めておけばいいのに

片付けられない人をどこかで軽蔑していたところもあります。

ですが、とても仲の良くなった職場の子に

「ちょっと雑な方が落ち着くの(^^)」と言われ

「確かに~」納得しました。

納得と言うか理解できたし気持ちが楽になりました。

年齢差もあったけど凄くいい子で

彼女の話し方や優しいところが大好きでしたね。

現在では

あれ?私きれい好きだったはずなんだけど・・・

掃除機も週1くらいです。

後々、彼女が職場を退職するのですが

彼女の存在が私にとって思っていた以上に大きくて

その1年後に私も退職するのですがそれは後程です。

 

姑の「一緒に住んでほしい」が嫌な理由だけではなく

同居前から上手くいきっこない事が見えていたので

嫌だけではなく無理だと思っていたんです。

何が何でも避けなくては!

 

ところが

姑の「私の病気、パーキンソン病なんだって」

病気を全く理解していない姑と

嘘をだと疑ってしまった私だったんですが

姑が生家に遊びに行ったとき

「私の病気、パーキンソン病なんだって」

と話すと生家の嫁に

「難病だね~大丈夫?いつから?」

などと言われたみたいで慌てて私のところにTELが来ました。

その慌てっぷりに私も本当だったんだ!と思ったのです。

姑が「パーキンソン病って難病なの?」

私「そうなの?」

思わず知らないふりをしてしまいました。

 

パーキンソン病の特徴(神経系の疾患)

運動障害
振るえ(振戦)、筋肉の硬直、動作の緩慢(無動)

姿勢の不安定などの運動症状が現れます。

非運動症状

うつ病認知症睡眠障害、自律神経障害などの非運動症状も伴うことがあります。

原因

脳内のドパミン産生細胞が徐々に減少することが原因とされています。

具体的な発症原因は特定されていませんが、

遺伝的要因と環境要因の両方が関係していると考えられています。

治療

薬物療法リハビリテーションなどで症状の管理を行います。

手術療法も検討される場合があります。

進行性

徐々に症状が悪化していく進行性の神経変性疾患です。

パーキンソン病は高齢者に多くみられる疾患ですが、

薬物療法やリハビリなどで症状のコントロールが可能です。

 

当時、私も詳しくパーキンソン病については解っていなかったけど

難病だと言う事は知っていて

姑がパーキンソン病であることも事実で

とにかく焦りましたね。

病気について調べました。

 

10年前のパーキンソン病についての理解は以下のようなものでした

特徴
主要症状として振戦、筋肉の硬直、動作緩慢等の運動障害が知られていた。
うつ病認知症などの非運動症状の合併も報告されていた。
病因は脳内のドパミン産生細胞の減少と考えられていたが、詳細は不明だった。
寿命
パーキンソン病の平均寿命は、発症時期によって大きく異なっていた。
65歳以上で発症した場合、発症から10年以内に死亡する患者が多かった。
一方、45歳未満で発症した場合は、20年以上生存できるパターンもみられた。
合併症の管理や薬物療法の進歩により、寿命は徐々に延びつつあった。
治療
ドパミン補充療法(レボドパ)が主な治療法とされていた。
手術療法も一部の患者に対して行われていたが、まだ発展途上の段階だった。
リハビリテーションの重要性も認識されつつあった。
10年前のパーキンソン病に関する知見は現在に比べると限られていた。

徐々に病態解明と治療法の改善が進んでいた時期と言えます。

 

10年前はパーキンソン病の寿命って10年以内とか7~8年とか書いてあって

特徴についても曖昧で解りずらかったんですよね。

姑が難病になり寿命がもう短い事だけは解ったんです。

 

(姑はおそらく20年以上前からレビー小体型認知症だったんだと思いますが

今日もデイサービスに行ってきましたよw

10年前のレビー小体型認知症に対する一般的な認知度は、

現在に比べるととても低く、専門家の間でも十分に認知されていない状況でした。)

 

姑の「一緒に住んでほしい」も

受け入れなくてはいけないのか?

夫にも病気の事を伝え

答えが出せないままでいました。

夫も母(姑)と一緒に住むことに迷いはあったんだと思います。

 

姑は自分の病気がパーキンソン病だと言う事を知ってからは

私にだけでなく夫にも

何度も「一緒に住んでほしい」を言うようになりました。

TELもくるし、バスに乗って家にくるし、休みの日も来るし、

夫と私は同居を決意しました。

同居して10年経過していますが、

そりゃね、色々な事があったんですよ~